父の日とは|父の日の由来や起源

一家の大黒柱であるお父さんは、毎日朝早くから夜遅くまで働き、たまの休みも朝早くからこどもたちと遊んだり、お母さんのお手伝いをしたりと家族のために一生懸命動き回っている印象がありますよね。

幼い頃はそんなお父さんが大好きだったという方も大勢いらっしゃるかと思いますが、思春期を迎えるとお父さんという存在が煩わしくなり、ついつい邪険に扱ってしまいがちになります。
ですが、社会人になり、結婚し、家庭を持つようになると、お父さんという存在が如何に家族にとって大切なのかということに気付かされる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そんなお父さんに今までの感謝の気持ちとこれからも長生きしてほしいという想いを込めて父の日にプレゼントをしようとお考えの方もいらっしゃるでしょう。
ですが、父の日は認知度が低く、母の日があるから父の日を作ったという遣っ付け感が強いため、日本では、母の日に比べるとあまり重要視されていない節があります。

ですが、父の日は母の日と同じく、亡き父を想う1人の女性によって誕生した立派な記念日だったのです。

そこで、今回は意外と知られていない父の日の由来や歴史についてご紹介したいと思います。

父の日の由来や歴史

父の日とは、お父さんに日頃の感謝を伝える日です。
日本では母の日に比べると認知度が低いため、忘れられることが多いですが、ロシアやドイツ、スペインなどの海外ではとても大切な記念日として国民に認知されています。

そんな父の日ですが、どのような経緯で誕生したのか気になりますよね。

父の日とは、アメリカ・ワシントン州に住むソノラ・スマート・ドッド (ジョン・ブルース・ドッド夫人)が亡き父への強い想いから誕生した記念日です。

彼女の父・ウィリアム・ジャクソン・スマートは、軍人でした。
1860年に共和党のリンカーンが大統領に当選した翌年の1861年にアメリカ南北地域で内戦が勃発し、彼女の父は戦地へと召集されてしまいます。

父の留守中、ソノラの母は父が無事に帰ってくるまでのあいだ、女手ひとつで6人の子どもたちを抱えながら、働き、一家を支えていました。

内戦が始まってから4年後の1865年、南軍の降伏によって内戦が終結すると、ウィリアムは召集を解かれ、無事にソノラたちのもとへ帰ってきました。

しかし、ソノラの母はそれまでの過労が原因でこの世を去ってしまいます。
そして、この日を境に父と6人の子どもたちの生活がスタートします。

今まで妻に家庭や育児をまかせっきりだったウィリアムは、初めは慣れない家事や育児に苦労したものの、再婚もせず、弱音や愚痴を一切吐かずに昼夜を問わず働き、6人の子どもたちを立派に育て、6人兄弟の末っ子であったソノラが無事に成人を迎えると彼は亡くなってしまいます。

父の死を嘆き悲しんでいた彼女は、このとき「母の日」の存在を知り、1909年に「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会に嘆願したのです。
そして、1910年6月19日にアメリカ・ワシントン州のスポケーンにて世界で初めて父の日の祝典が催されました。

1916年に開催された父の日の祝典の際、第28代アメリカ大統領・ウッドロー・ウィルソンがスポケーンを訪れ、父の日の演説を行ったことでアメリカ全土に父の日が知れ渡り、1966年には第36代アメリカ大統領・リンドン・ジョンソンが父の日を称賛し、大統領告示を発し、6月の第3日曜日が父の日に制定されたのです。

そして、1972年にはアメリカにて正式な国の記念日として制定され、母の日にはカーネーションを、父の日にはバラを贈るようになりました。
父の日にバラを贈るのは、ソノラが父の墓前に白いバラを供えたことに由来しており、父の日が初めて開催された1910年の祝典の際に、YMCAの青年が、父親が健全な方には赤いバラ、父親が亡くなっている方には白いバラを身に付けたと伝えられています。

今回は父の日とはどのような由来や歴史によって誕生したのかについてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
男手ひとつで6人の子どもたちを立派に育て上げた亡き父を想う1人の女性によって誕生した父の日は、その後、世界各国に広まり、母の日と同じように大切にされています。
普段は邪険に扱われがちなお父さんですが、ソノラのように孝行しようと思ったときには既に遅かったという後悔をしないために、今年の父の日はお父さんに「ありがとう」と一言伝えてみてはいかがでしょうか。

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