平安時代の頃より始まった桜花を愛でる花宴は、今では桜の木の下で酒を酌み交わし、ご馳走に舌鼓を打ち、春の訪れを喜ぶ酒宴となっています。
お花見の醍醐味といえば、やはり「花見酒」ですよね。
桜の木の下で飲む日本酒は格別だと言われており、風に吹かれた桜の花びらがひらひらと舞い踊り、日本酒の上でゆらゆらと揺れる様は、季節を敏感に感じ取る日本人の心を魅了します。
さて、お花見といえば、豊臣秀吉公を忘れてはいけません。
今までのお花見は、宮中や貴族、そして武士など極限られた人物のみが行える観桜の伝統行事だったのですが、彼は今までのお花見文化を打破し、桜の名所へ赴き、大勢の人々と酒宴を楽しみ、重箱に詰められた豪華なご馳走に舌鼓を打つという新しいお花見文化を確立させたのです。そのきっかけとなったのが「醍醐の花見」です。
そこで、今回は豊臣秀吉公が催した「醍醐の花見」で飲まれていた幻の日本酒をご紹介したいと思います。
お花見の革命児・豊臣秀吉公が飲んだという幻の日本酒とは!?
1590年に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉公は、天下の大勢が決まると1586年に聚楽第行幸、1587年に北野大茶会と様々な催しを次々と実行させました。
そんな派手好きで豊かな着想を持つ秀吉公は、1598年に京都の醍醐寺三宝院の裏にある山麓にて盛大な花見「醍醐の花見」を催しました。
このお花見には、豊臣秀頼・北政所・淀殿といった近親者をはじめ、諸大名とその部下、そして、女房女中衆を合わせた総勢1300人が参加し、1587年の北野大茶会と双璧を成す催し物として知られています。
豪華絢爛な醍醐の花見では、秀吉公が日本各地から選りすぐりの銘酒がずらりと並んだそうですが、中でも幻の銘酒「平野酒」は、平野郷と呼ばれる環濠集落の良質なお米と水をたっぷり使った日本酒であり、「栄華を極めた豊臣秀吉公を魅了した酒」としてその名を轟かせました。
ですが、平野酒は明治時代になると姿を消し、歴史の影へと消えてゆき、今ではお目にかかることができません。
しかし、「かいたにほんてん」の店主・櫂谷鴻慈さんが老舗蔵元の大門酒造と協力し、1994年になんと幻の銘酒「平野酒」を復活させたのです。
ですが、2015年惜しまれつつも製造停止となり、21年という歴史に再び幕が下ろされました。
大門酒造の平野酒は、もう飲むことはできませんが、現在櫂谷さんは2016年12月末の再復活を目指して、大門酒造の方々と共に新たな蔵元探しを行い、平野酒の醸造スタイルを新たな蔵元に伝承し、秀吉公が愛した平野酒の香味を後世に伝えてゆくそうです。
今回はお花見にオススメの日本酒をご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
秀吉の伝記「大かうさまくんきのうち」には、醍醐の花見に日本各地から取り寄せた銘酒が記されています。
是非、この機会に秀吉公が愛した幻の銘酒を片手に満開の桜を愛でながら、盛大な酒宴を催してみませんか。