お中元とは|お中元の起源や歴史

ついこのあいだ新たな年を迎えたばかりだと思っていたのですが、早いものでもう半年が経過し、デパートや百貨店などでは上半期お世話になった方々への感謝の気持ちを込めて贈るお中元の受付が始まり、その光景を見ると、幼い頃におじいちゃんやお父さん宛てに届いたお中元に一喜一憂した懐かしい記憶が蘇り、心がほっこりと温まるという方も大勢いらっしゃるかと思います。

お中元とは、お歳暮と同じく本来1年の中で行われる行事のことを表す言葉だったのですが、現在では親族やお世話になった方、会社の上司や取引先の方へ贈るお礼や挨拶の品となっており、最近では贈る相手との関係にこだわらず、親しい友人や知人へ贈るという方々も増えてきました。

そんな感謝の気持ちを込めて贈るお中元ですが、いつ頃から行われているのか気になりませんか。

そこで、今回は夏ギフトのお中元とは何かをご紹介したいと思います。

お中元とは

皆さんはお中元の「中元」とは、どのような意味かご存知ですか。

中元とは、中国漢民族の伝統宗教「道教」に由来する三元という年中行事のひとつです。

道教とは、黄帝・老子を教祖と仰ぎ、古来の巫術や老壮道家の流れを汲んでおり、これに陰陽五行説や神仙思想などを加味し、不老長寿の術を求め、府呪や祈祷などを行っていました。
その後、北魏の寇謙之(こうけんし)によって改革され、仏教の教理が取り入れられ、現在では民間宗教のひとつとして広まっています。

そんな道教の教えのひとつである「三元」は、上元・中元・下元の3つの行事の総称です。

上元とは、幸福をもたらす神様・天官大帝の誕生日をお祝いする日です。
天官大帝の誕生日は、旧暦の1月15日であり、この日は元宵節と呼ばれ、紙で作られたランタンを空へ飛ばして、神様の誕生日をお祝いし、幸福を祈ります。

中元とは、地獄を支配している地官大帝の誕生日です。
地官大帝は別名「赦罪大帝」とも呼ばれており、今までに犯してしまった罪を償うことが許される日でもあります。
地官大帝の誕生日は、旧暦の7月15日であり、この日は地獄の窯の蓋が開き、地官大帝の誕生日に恩赦を得た死者の魂魄が現世へやってくると言われており、彼らが悪さをしないようにお供えものを用意してお祈りをするのが習わしとなっています。

下元とは、厄払いの神様である水官大帝の誕生日です。
水官大帝の誕生日は、旧暦の10月15日であり、この日はお線香と野菜で作った餡を包んだお団子をお供えして厄払いを行います。

三元のうち、地官大帝の誕生日である中元は、地獄の窯の蓋が開いて死者の魂魄が現世へやってくるということで、中国の仏教にてこの部分が変改され、ご先祖様や故人の霊が現世へ戻ってくる日としたのです。
これがお盆の起源となっています。

その後、遣唐使たちによって三元が日本へ伝わったのですが、このとき仏教にて変改された中元が伝わったため、日本では道教の中元ではなく、中国仏教の中元が一般的となっています。

中国から伝わった中元ですが、古来日本では旧暦の7月15日を「贖罪の日」と呼び、これまで犯した罪を償う日として、この日は庭で焚火をするのが一般的でした。
また、この日はお盆の起源と言われている盂蘭盆会(うらぼんえ)という行事を行う日でもありました。

盂蘭盆とは、ご先祖様や故人を供養や仏法を行う行事であり、「盂蘭盆経」や「報恩奉盆経」などに説かれている餓鬼道へ堕ちてしまった母親を救う目連尊者の伝説が由来となっており、現在行われているお盆の起源でもあります。そして、この日は安居が開ける仏教の「解夏」、道教では三元のひとつである「中元」にあたるため、先人たちはお中元とお盆の行事を同時に行っていたことが明らかにされました。

その後、時代は移り変わり、足利氏が政権を握り、京都室町へ幕府を開いた室町時代に突入すると、ご先祖様や故人をお迎えし、魂魄を供養するお盆の行事に対し、中元の行事は「生身玉」や「おめでた事」と呼ばれるようになり、今生きていることへの感謝や無事を祝うものへと変化し、死者ではなく、健全な人々のために行う行事となったのです。

そして、朝廷や武家のあいだでは、親類や知人のお宅へ伺い、交流を深め、互いの無事を喜び合う行事が盛んに行われるようになりました。

江戸時代になると、お中元の風習が庶民のあいだでも行われるようになり、交遊範囲の広い人々は中元の1日では対応することが難しくなり、だからといって知らんぷりするわけにもいかず、顔が広い人々は中元の前後に贈り物をしたり、手土産を持参し挨拶へ行くようになったのです。

彼らはお中元の手土産として、うどんや素麺など夏の暑さでも痛みにくく、日持ちする品物を好んで購入し、お盆の際に渡すのが常識となっていました。

江戸幕府が崩壊し、天皇を中心とする新政府が誕生した明治維新後は、お中元の品物を届けるために使者を使って、お礼をするという風習が誕生し、この頃からお中元の贈り物は7月の上旬に行うようになってゆきます。

そして、現代では贈り物自体を「お中元」と呼ぶようになり、本来のお中元の意味合いは薄れ、親しい方々やお世話になった方々へ感謝の気持ちを込めて品物を贈るというかたちに変化したのです。
ですが、なかにはなかなか連絡が取れず、ご無沙汰な方へお中元の品物を贈り、無事を確認するという方もいらっしゃいます。

ですが、もしかしたら、現代のお中元文化は、長い間連絡や訪問を怠ったことへの反省の意味も込め、改めて挨拶をすることで、少しでも日ごろの無礼を償うというのが本来の姿なのかもしれませんね。

今回はお中元の起源や歴史についてご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

現在では夏の風物詩となっているお中元ですが、本来の意味を知ることで、ちょっぴりお中元に対する考えが変わったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

お中元は1度送ったら、以降贈り続けなければならないため、お歳暮と合わせると出費が大きくなるということで贈ることを控えている方も大勢いらっしゃいます。

ですが、実家や配偶者の親御さんには、なかなか会いに行くことが出来ないことをお詫びし、今後も円滑な人間関係を築いてゆけるように真心を込めて帰省された際にお中元を手渡しされてみてはいかがでしょうか。

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