お月見の由来と歴史

「ともすれば 月澄む空にあくがるる 心のはてを 知るよしもがな」

この歌は、歌僧・西行が高野山の時代に読み上げた有名な歌です。

西行だけではなく、阿倍仲麻呂や上杉謙信、北宋の詩人・蘇軾 (そしょく)など多くの先人たちが月に関する作品を残しています。

月は通年を通して夜空にあり、優しい明かりで私たちを照らしてくれているのですが、特に秋の月は「名月」と呼ばれ、大勢の人々に愛されています。
なぜ、秋の月が愛されているのか、気になりますよね。

秋の月が愛される理由は様々ですが、古来より秋は空気が澄んでいるため「秋澄む」と呼ばれており、冴え冴えとした夜空に輝くお月様や星々の輝きも他の季節と比べ、より一層際立ち、野に鳴く懐かしい虫の音やそよそよと風になびく草木の気配がすぐそばに感じ、季節や風情に思いを馳せ、安らぎや喜びを感じていたのです。

こうした情景を背景に、秋の澄んだ夜空にくっきりと輝く月は、日本人の情動へ触れ、秋の風情として大切にされてきました。

なかでも、旧暦の8月15日の夜空に浮かぶ月は、1年のうちで最も空気が澄み渡り、煌々とした美しい月が観られるため「仲秋の名月」と呼ばれ、平安時代の頃からお月見が行われてきました。

さて、多くの人々の心を惹き付ける中秋の名月ですが、現在ではお月見を行う習慣が薄れており、特に20代から30代の若い世代の男性に至っては、お月見をするという方は皆無となっています。

そこで、今回はより大勢の人々に中秋の名月の魅力を知って頂くため、お月見とはどのような歴史や由来を持って誕生した行事なのかをご紹介したいと思います。

お月見とは

お月見とは、太陽と月との黄経の差が180度の位置にあたる際に見られる満月を眺めて楽しむことであり、「観月」とも言います。

特に旧暦の8月15日から8月16日の夜に観られる満月は「名月」と呼ばれ、1年で最も美しい月であると言われています。よく、十五夜という言葉を耳にするかと思いますが、十五夜というのは、旧暦の毎月15日の夜のことであり、旧暦の8月15日に観られる月は「中秋の名月」と呼ばれ、区別されています。

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旧暦の8月15日に月を愛でる「十五夜の月見」の風習は、中国で行われていた月見の祭事と古来日本に伝わる月を祀る習慣が合わさって誕生したものだと言われています。

月は、満月を過ぎると、下弦・新月・上弦と姿を変え、再び満月となって私たちの前に姿を現します。
7日毎に際立った変化を見せながら変化を繰り返す月の姿を見た先人たちは、暦が誕生する以前まで、この変化によって時を知るための尺度として用いてきました。

そして、夜空に浮かぶ神秘的な黄金色の月を「不死と復活のシンボル」として崇めてゆくようになります。

また、一方では、「地上の生命を生み、育む聖なる存在」として神様の姿と重ねられることもあり、欠けの無い美しい満月を豊穣のシンボルとし、五穀豊穣・子孫繁栄といった願いを込めて収穫祭を行い、月を信仰の対象としていた地域もございます。

お月見は、明かりの無い時代にお月様の柔らかな明かりを頼りに農作業を行っていた方も多く、人々を優しい明かりで照らしてくれるお月様に感謝をし、農作物の収穫時期である秋に豊作祈願や収穫を感謝する行事なのですが、風流韻事 (ふうりゅういんじ)を楽しむイベントでもあったため、平安時代の頃は、貴族たちは仲秋の名月になると観月の宴を催し、水面に映る美しい月を眺める舟遊びを行ったり、盃に月を映して月見酒を楽しんでいたと言います。

また、秋の月は1年で最も美しかったため、和歌や俳句、漢詩などに「月」がよく詠まれており、古くから世界中の人々のあいだで親しまれていたことが分かります。

お月見の習慣が庶民のあいだに広まったのは、江戸時代になってからであり、現在私たちが行っているお月見行事の起源となっています。

今回はお月見とはどのような歴史や由来を持って誕生した行事なのかをご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

お月見が行われる十五夜の月見ですが、新暦では月遅れの9月15日と思われる方々も大勢いらっしゃるかと思います。

ですが、旧暦は月の満ち欠けを基準にしていたため、太陽の動きを基準にしている新暦とでは若干のズレが生じています。ですので、十五夜の月見は、毎年9月中旬から10月上旬にかけてとなっておりますので、カレンダーをよくご確認の上、お月見行事を行うようにしましょう。

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