日本固有のアルコール飲料である日本酒は現在世界各国の人々から愛飲されています。
2006年以降オーストラリアへの日本酒輸出量が増加傾向にあり、4年後の2010年にはおよそ2倍もの日本酒がオーストラリアへ輸出されています。また、アメリカや韓国、中国でも日本酒が輸出されており、今やワイン同様、食前酒として飲用されています。
「ハリウッドの狂犬」ことラッセル・クロウ氏や「Nobu New York」の共同経営者である名優のロバート・デ・ニーロ氏は日本酒愛好家として有名で、新潟県にある北見酒造にはロバート・デ・ニーロ氏をはじめ、数多くの著名人御用達の酒造として注目を集めています。
もちろん、日本酒は海外だけではなく、教科書にも登場するほど有名な数々の歴史上の偉人達にも愛されており、「戦国の神将」と称される上杉謙信は梅干しを肴に1人で静かに馬上杯に日本酒を注ぎ、嗜むのが大好きだったと言います。
また、美食家で知られる伊達正宗は日本酒にもこだわっており、徳川家の剣術師範を務めていた柳生但馬守宗矩の紹介で1608年に優れた腕前を持つ杜氏を奈良県から呼び寄せ、仙台城内に専用の酒蔵を建設したと言います。
他にも織田信長や明智光秀、母里太兵衛など日本酒に纏わる逸話を持つ戦国武将は多くいらっしゃいます。
そんな歴史上の偉人たちや海外セレブたちから愛されている日本酒に纏わる歴史をご紹介したいと思います。
世界に誇る日本酒の歴史と技術
日本酒の起源
皆さんは「魏志東夷伝(ぎしとういでん)」という書物はご存知ですか?
魏志東夷伝とは、中国の魏の史書「魏志」の「東夷」という項目に記されている日本の古代史です。この書記内に「喪主泣シ、他人就ヒテ歌舞飲酒ス」「父子男女別無シ、人性酒ヲ嗜ム」という一節があります。この文から、この頃から日本では酒を嗜む風習があることが分かります。しかし、この一節では米から造られた酒なのか果実から造られたものなのかなどを判別することが出来ません。
紀元前4世紀頃から紀元後3世紀後期になると水稲耕作や金属器具の使用が始まり、この頃から九州地方や近畿地方で酒造りが始まったと言われています。この頃の酒は果実酒または口噛み酒と呼ばれるのが一般的でした。
水稲耕作が伝わる以前の紀元前4000年から3000年の縄文中期の頃の主食はキイチゴや山ブドウなどのフルーツであり、採取したフルーツを貯蔵するために器が製造されるようになります。しかし、器に貯蔵されたフルーツは糖質を豊富に含有しているため、果皮に存在する無数の野生酵母の作用によってアルコール発酵が生じ、偶然にも果実酒が誕生します。
初めは得体の知れない液体に驚いたそうですが、とても美味しかったため、先人たちは果実酒を自ら製造するようになり、有孔鍔付土器という器を用いて製造していたのではないかと言われています。
では、話を弥生時代に戻しましょう。
日本酒のルーツと言われているのが果実酒の後に誕生した「口噛み酒」です。
口噛み酒とは、南太平洋地域から中南米にかけて行われていた酒造りのことで、日本では水稲耕作が始まった弥生時代から製造されていたのではないかと言われています。
フルーツには糖質が含まれていたため、野生の酵母の作用によってアルコール発酵が始まったのですが、お米には糖質の代わりにデンプンが含有されているため、果実酒の要領で製造することが出来ません。
そのため、収穫した穀物類を1度口に含み、咀嚼によって溢れ出る唾液に含まれるアミラーゼという酵素の働きを利用してデンプンを分解し、ドロドロになった穀物を専用の器に吐き出し、貯蔵します。すると空気中に浮遊している野生の酵素の働きによってアルコール発酵が行われ、酒を造っていたことが奈良時代の初めに記された「大隅国風土紀」や日本最古の歴史書と言われる「古事記」内に記されています。
また、これらの歴史書には、口噛み作業を行うことが出来るのは極限られた人物のみと言われており、当時は巫女だけが行えるものとされていました。
では、今のような日本酒が造られるようになったのはいつ頃になるのでしょうか。
日本酒の基礎の誕生
奈良県に都が存在した奈良時代になると、周の時代に突入した中国から麹を用いた酒造りが須須許里の手によって伝来します。
須須許里が中国から持ち帰った「加無太知(かむたち)」と呼ばれる麹であり、この麹によって米麹を用いた醸造製法が確立されます。そして、律令制度及び造酒司(さけのつかさ)と呼ばれる官衙が設立され、朝廷に献上するための醸造体制が整備され、酒造技術が飛躍的に向上したと言います。
奈良県から京都府に都が移った平安時代になると、お米・麹・水で日本酒を仕込む方法及び御燗に関する記述された「延喜式(えんぎしき)」という律令の施行細則が遍纂(へんさん)されました。平安時代の政治は神事であり、その際に召し上がる食事には日本酒が不可欠でした。しかし、宗教儀礼的な要素が強かったため、庶民の口に入ることは、ほとんどありませんでした。
400年あまり続いた平安時代では「僧坊酒」と呼ばれるアルコール飲料の存在を忘れてはなりません。僧坊酒とは、僧侶たちが寺で醸造したお酒のことで、高野山の「天野酒」や奈良・平城の「菩提泉」が特に評価が高く、朝廷による酒蔵部門とは別に製造されていました。
やがて、僧坊酒が盛んに醸造されるようになると神仏への供物や朝廷への献上品としてではなく、庶民が嗜む酒として変化してゆきます。
日本酒造りの本格化
400年あまり続いた平安時代が終わりを告げ、鎌倉・室町時代になると、慎ましやかに質朴ながらも徐々に都市化が進行し、商業が盛んに行われるようになります。
するとお米と同価値を持つ日本酒が市場に流通を始めます。
平安時代の頃には朝廷の酒造組織によって醸造が行われていた日本酒が神社仏閣で行われるようになり、さらに京都府を中心に造り酒屋が盛んに栄えます。
1336年からおよそ57年間の南北朝時代から室町時代初めにかけて記された「御酒之日記(ごしゅのにっき)」には、現在のように優れた科学知識や技術が無かったにも関わらず、麹と蒸米、水を2度に分けて加える段仕込み製法や乳酸醗酵の応用技術、さらには木炭の使用などが正確に記されており、現在の日本酒の原型がこの時代で既に整っていたと言います。
日本酒の生産量が飛躍的に向上したのは、多くの有名武将が名を連ねる安土桃山時代になります。従来は壷もしくは瓶で少しずつ仕込んでいたのですが、この頃になると大きな桶を用いて醸造する技術が誕生し、日本酒の大量生産が行えるようになります。さらに、海外からの蒸留技術が伝来すると、様々な種類の蒸留酒が製造されるようになります。
世界初の技術力を持つ日本
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康公が江戸に都を移した江戸時代になると、新酒・間酒・寒前酒・寒酒・春酒の年に5回仕込まれていた日本酒の中でも寒さの厳しい寒中の際に造られる「寒造り」が群を抜いて美味いことが明らかとなり、さらに優秀な酒造りの技術者たちが集結しやすく、低温でじっくり長期発酵が行える点が日本酒造りの最重要項目として挙げられるようになります。
また、この頃になると日本酒の保存性能を向上させるために低温殺菌法と呼ばれる火入れ工程や製造及び生産全般の製品生産量比率(通称:歩留り)を良くし、香りや味わいを調節するために「アルコール添加」と呼ばれる火落ち酸敗を引き起こすリスクを軽減させる混和法など、世界では未だ行われていない最先端の技術を独自で編み出し、1698年には2万7000件をも超える酒造場が存在したと言われています。
1830年から1844年の江戸時代後期には、日本酒造りに欠かすことの出来ない水の水質が重要視されるようになり、鉄分の含有量が低く、有効性のミネラルをたっぷり含んだ水で日本酒を使用するように奨励されます。
近代社会における日本酒の在り方
およそ260年間続いた徳川政権が終わりを告げ、天皇を中心とする新政権が発足した明治時代には富国強兵策と共に、日本は税金の徴収を開始します。その際、日本酒などの酒類にも「酒税」と呼ばれる税金が付加され、自家醸造による密造酒が禁止となります。すると2万7000件を超える酒造場が1万6000件まで減少し、生産量がおよそ55万klまで落ち込みました。明治42年になると、一升瓶の開発が行われ、それと同時期に速醸法が誕生し、国立醸造試験所が開設されました。
そして、科学理論が日本酒を初めとする酒類の製造に必要不可欠ということが認知されるようになります。
大正時代になると、一升瓶での日本酒販売が行われるようになり、1926年から1989年の昭和時代になると、現在よりも優れた日本酒を製造するために技術改革が行われます。
そして、堅型精米機をはじめ、温度管理及び微生物管理を行うホーロータンクや6号酵母の採取・分離・純粋培養などが次々に研究され、開発されてゆきます。
ここまで見ると日本酒造りが順調に行われてきたかのように思われますが、昭和の時代には世界大戦などの戦争が勃発したために、日本酒の原材料となるお米が軍事用に用いられ、さらにこれまで自由に酒類の製造及び販売を行うことが可能だったのですが、急遽免許制に変更され、酒屋の件数が激減します。そして、日本酒をはじめとした酒類は全て政府の監視下のもとでしか販売することが出来なくなってしまうのです。
現在では日本酒に等級はありませんが、平成4年までは日本酒1つ1つに特級・1級・2級とグレードが割り振られ、たいへん窮屈な扱いを受けていました。今では特別名称酒制度が設けられ、日本酒の新たな時代が展開されています。
今回は日本酒の歴史についてご説明しましたが、いかがでしたでしょうか。
日本酒の歴史は日本の歩んできた軌跡の1つとなっており、日本酒の歴史が分かるとその時代の文化や情勢が理解できると言われています。
是非、日本酒に関する歴史や知識を深め、いつもよりも美味しい日本酒を堪能してみてはいかがでしょうか。