日本に伝わる七夕伝説|七夕の歴史や由来

日本には古くからおりひめ様とひこぼし様に関する「七夕伝説」がありますが、七夕は古代中国で行われていた五節句のひとつですので、日本の七夕伝説は中国に伝わる物語の影響を強く受けています。

中国では六朝時代の梁代・殷芸 (いんうん)が書きあらわした小説に織姫・牽牛伝説が記されており、現在の七夕伝説の起源だと言われています。

さて、そんな七夕伝説ですが、日本の七夕伝説とは、どのような物語なのかご存知の方はいらっしゃいますか。
幼い頃は、お父さんやお母さん、保育園や幼稚園の先生方に何度も読み聞かせてもらったという方も大人になると、「おりひめ様とひこぼし様が年に1度会える日」とザックリな内容になってしまい、なかなか思い出せませんよね。

そこで、今回は日本の七夕伝説と世界各国の七夕伝説の違いなどについてご紹介します。

日本の七夕物語

では、日本に古くから伝わる七夕伝説をご紹介しましょう。

【七夕物語】

天の川のほとりで天の神様の娘・織姫が美しい布帛 (ふはく)を織っていました。
彼女の織った布帛は、五色に輝き、四季の移り変わりによって色彩が変化するたいへん美しい布帛と言われており、織姫は神様にとって自慢の娘でした。
しかし、織姫は機を織ることばかりで自身の身也に気を遣わず、困った神様は「織姫もそろそろ年頃なのだから、織姫に相応しい婿を探してやろう」と思いつきます。
神様は娘のために、あちらこちらを探し回ります。
そして、天の川のほとりを歩いている際、牛の世話をしていた1人の若者と出会い、彼に声をかけたのです。
彼の名は「彦星」と言い、牛の世話や畑仕事に精を出す真面目で誠実な男性でした。
「彼ならば娘と幸せに暮らせる」と思った神様は、織姫の夫に彦星を選んだのです。

彦星と織姫は一目で互いを好きになり、幸せな夫婦生活を送っていました。

しかし、2人は結婚後、全く仕事をしなくなってしまい、牛は痩せ細り、機織りの機械はホコリが被って使い物にならなくなってしまいました。

神様は「そろそろ仕事をしたらどうだ」と注意をするのですが、「分かりました」と答えるだけで、全く仕事をしません。

そして、2人が全く働かなくなったことで、神様や空に住む人々の衣服はボロボロになり、畑は作物が枯れて果て、代わりに雑草が生え乱れだし、痩せ細った牛は病気になってしまいました。

ある日、遂に神様の堪忍袋の緒が切れ、「もう、お前たち2人を会わせるわけにはいかん!」と言い、織姫を天の川の西側へ、彦星を東側へと無理矢理引き離したのです。
こうして、2人は2度とお互いの顔を見ることすらできなくなり、織姫は彦星と離れ離れになったことで毎日泣くばかりで結局仕事をせず、彦星も家に閉じこもって出てこなくなってしまいました。

2人の姿に見かねた神様は「おまえたちが毎日真面目に働くというのならば、年に1度だけ会うのを許そう」と2人に告げました。

すると、織姫と彦星は心を入れ替え、年に1度会える日を楽しみに一生懸命働きました。

しかし、2人が会える7月7日の夜に雨が降ってしまい、天の川の水かさが増し、川を渡ることができなくなってしまいました。
すると、どこからともなく鵲 (カササギ)の群れがやってきて、天の川に入り、翼を広げて、2人を会わせてくれたのです。

こうして、2人は年に1度、7月7日の夜を楽しみに毎日懸命に働いているのです。

おしまい

日本に伝わる七夕伝説をご紹介しましたが、いかがでしたか。
娘のために良かれと思って婿探しを行った神様は、まさかこのような結末になるとは思わなかったかもしれませんね。

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